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Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

恐山の裏歴史 意外と知られていない恐山鉱山

昨日夜、NHKで恐山の番組をやっていた。内容は恐山大祭に合わせて、霊場として崇められる恐山を訪れた人々の想い云々、NHKらしい媚びたものだった。あの荒涼とした場所に死後の世界を思い描く人が多いのはしょうがないが、あそこは元々鉱山だよ・・・と思いながらWikipediaを見てみたが、そんな事はどこにも書いていない。

なので、知っている事を書いておいた。

私もかつてはまったく知らなかったが、学生時代に放浪中、恐山に立ち寄って温泉に浸かっていたところ、地元のお年寄りと仲良くなり色々と聞かせて貰って知った。以下がその内容である。

恐山一帯は明治〜太平洋戦争末期にかけて、軍需向けの硫黄鉱山がひしめいていた。現在、温泉の湯船のあるあたりには下北鉱区があった他、宇曽利湖北岸に6つ程度の鉱区があったとのこと。温泉は下北鉱区を掘ってる最中に噴出したもので、鉱区としてはあまり役に立たず、一番最初に放棄されたという。その温泉を利用した宿泊施設が多数作られていたそうである。

https://www.gsj.jp/data/bull-gsj/05-03_04.pdf

現在、恐山街道(県道)が菩提寺へと繋がる手前のあたりには平野が広がっているが、かつてそこには飯場遊郭などがあった。不自然に広い土地なので、かつて何らかの施設があったのでは、と思いたくなるのだが、やはりそういう事かと妙に納得してしまった。これらはすべて取り壊されたが、製錬所の一部や土台などが、恐山周辺に点在している。興味があればぜひ見てきて欲しい。

明治以前には金鉱があったらしく、最近その金脈の話が出てきたが、本格的に採掘されたのは金でなく硫黄だった。

お年寄りは鉱山関係者ではなかったが、若いころは遊女目当てに恐山に遊びに来ていたという。戦後、硫黄の需要減にともなってすぐに閉山してしまったそうだが、代わりに霊場テーマパークが鉱山の跡地を利用して作られた。誰が作り宣伝したのかは言うまでもない。

恐山大祭はイタコの口寄せで有名だが、口寄せが始まったのは戦後である。では戦中戦前はどうだったかといえば、上に述べた通り。あの荒涼とした風景が、実は重機で掘り返された単なる鉱山の跡では興冷めである。おまけに遊女と来た日には。

寺の関係者は絶対口にしないそうだ。