Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

分子シミュレーションの使い途

セミナーで思い出したが、これも先日、アクセルリスの日本支社で面白い講演があった。エポキシとアミン数種を混ぜて反応させた物の機械物性を、実験と分子シミュレーションとで突き合わせるというもので、反応性を確率まで考慮した分子動力学でアモルファスを作り、ヤング率やS-Sカーブを予測するというこれまでにない研究内容で、正直心酔してしまった。

講演後に懇親会のような感じになったので色々と議論してみたが、そこで分子シミュレーションの使い途、何をアウトプットにするか、という話が出た。

アウトプット

J-OCTAにせよMaterials Studioにせよ、ソフトウェア単体はアウトプットを明確にしていない。ここでいうアウトプットとは、その手法がどういった役に立つのか?、それ以外に方法はないのか?というテーマである。明示化されないのは研究が学術の範疇に収まっているケースの典型的症状で、メーカー自身も現在のところ、あまりそういった観念の構築に積極的ではない。

バルク弾性率が計算出来ますよ、分散・拡散が計算できますよ、ガラス転移温度が求められますよ、相分離構造が分かりますよ・・・というのはいい。求められた結果が、他の手法(主に実験)と比較したとき、どのようにアドバンテージを持ちどのように有用なのかをメーカーは何も提示していないのである。

手作業で絵を描くのと同じ事がパソコンで出来ますよ!スゴイでしょ?と言われて、パソコンとお絵かきソフトを導入するのはアマチュアだけだ。保存が楽だとか、次の工程に持ってく時間を短縮出来るとか、簡単操作で誰でも絵が描けるようになるとか、パソコンで作業することでの付加価値が明確になっていない限り、安易に飛びつく人は居ないだろう。

メソスケールシミュレーション(分子シミュレーションも含め)と似たような分類のシミュレーションに、MO(分子軌道法)というのがある。DFTもあるぞとか細かいことは置いといて、MOにおいては、どういった反応性を持つどういった分子量の化合物を何と何の原子を使って作りたいか、と、アウトプットが明示化される場合が多い。あとは合成方法を考えるだけだ。合成を先にやると当てずっぽになり、ハズレた場合に膨大な研究費が無駄になってしまうため、予め目算を立てるためにもMOは良い。昔から医薬でMOが盛んな理由である。

ずっと系が大きくなって計算工学の範疇に(FEMとか)入ると、目に見えるサイズのモノの構造解析というアウトプットがあるため、実験よりもシミュレーションに分が出てくる。構造解析を実験的にやるとなると、治具やサンプルを大量に作り、クロスセクションをこれまた大量に行ったり、試験自体の成否閾値を予め規定してそれに見合った設計を行ってから実験という、恐ろしく手間のかかる内容となる上にノウハウ絡みが多すぎて出来る人間も限られてくる。

が、MD(分子動力学)やDPD(散逸粒子動力学)なんかがメインになるメソスケールは少し違う。治具も要らなきゃ作業自体も難しくなく、組成決めたらバイトや新入社員に丸投げしてても答えは出てくる。新規化合物を作るわけではなく、既存の物質を使って材料レベルの研究を行っていくのだから、シミュレーションするよりも実験してしまった方が手っ取り早いのだ。

コストパフォーマンスの砦となりうるか

そこで一つ、考えが生まれる。実験を大量にやるのは大変だから、シミュレーションで安価に早く結果が出せないか?というアウトプット。
先のエポキシとアミンの例でいうと、エポキシ100種、アミン100種を官能基比等量で混ぜ混ぜしたモノの機械物性は1万あるじゃないか、これを全部実験でやったら大変じゃん、そこでシミュレーションを・・・というものである。

一見すると理に適っているように見える。が、見えるだけだ。私の知る限り、上市されているエポキシは日本だけで300種程度、海外を入れると500種程度になる。アミンはもっと少なく150種かそこらだと思うが、この数はその論理を裏付けるかのように見える。

ところが、ノウハウを少しでも考えた場合、例えばノボラックフェノールならこういった物性、ビスマレイミドはこうこう、エポキシアクリレートならあーだこーだと考えていくと、目的とする用途に使える物はほんの数種類・・・、となってしまう。

実験慣れしているたいていの化学者は、構造単位で物性予測することになれている。化学構造を見ただけで凡その物性を予測できるし、逆に物性に見合った構造を思い浮かべる事もできる。これならシミュレーションなど必要ない、さっさと合成なり実験したほうが手っ取り早い。

だから、データベース構築的な目的で売り込もうとしても、企業は相手にしないだろう。データベースはノウハウとして既にあるのだ。

メカニズムの把握

では、分子シミュレーションの落とし所はどこにあるのだろうか。これは私の考えだが、実験結果に対する理論的な裏付けの構築、つまりメカニズムの把握こそが、分子シミュレーションを行う唯一の理由になるのではないだろうか。

実験的にメカニズムを推察することは、至極大変なものである。例えば、高分子材料の機械強度のメカニズムなんていうのは、実験だけではチンプンカンプンだ。官能基数毎にS-Sカーブで比較しても、アニール時間や温度で強度がやたら変わったり、材料の骨格的には強度発現するはずなのになぜか予測通りにならなかったりしたときに、分析や計画法だけで原因特定するのは至極大変でカネもかかる。

架橋点周辺の球状ミセルの分布が、与えた熱量と反応温度によって変化し、ネットワークが海島構造に至るかどうかで相分離構造が変わり、結果強度が変わってくるといった研究を実験的にやるには、TEM撮りまくるだのめんどくさい。とりあえず海島だけ見るにしてもクライオミリングして化学染色してSEMで見て、サンプル一発あたり加工費コミコミ20万。組成や温度変えて水準振ったら軽く200万は飛ぶ。

こういった基礎研究は、企業はあんまりやりたがらないが、客から「なんでなの?なんでそーなるの?理由分かんなきゃ買わねーよ」とか言われるとしょうがなく手をつける。球状ミセルの分布を上手く説明出来る写真が撮れればいいが、たいていはいかようにでも解釈可能なよくわからない資料を口頭で「多分こうなってます!」と、元技術の営業が断言して終わるようなケースが多いと思う。

ところがこれは、分子シミュレーションではいとも簡単に解ける問題だ。全原子でも粗視化でもいいが反応性考慮してMDして、架橋点周辺の反応率を比較してみればいい。分布は視覚的に出力でき、単位体積あたりの数まで示せるだろう。一目瞭然の資料に、客は頷くに違いない。

他にも例えば、全体での架橋率がどの程度になるのか、絶対値を求めるという研究も可能である。

実験的に架橋密度を直接求める事は出来ないが、DSCを用いて反応論的に求める事が出来る。
しかしこの手法の欠点は「本当はどれだけ反応したのか」という点についてはさっぱり分からない事にある。要はサチったところを100%としているために起きるのだが、実際にはアモルファス化する際の構造的な障害によって反応出来なかった「余り」が必ず生じるにも関わらず、100%反応した、としか結論出来ないのだ。
熱可塑性樹脂ならなんとかして溶媒に溶いてGPCや液クロで定量分析もありうるが、熱硬化性だとやりようがない。大雑把に、架橋点間分子量をDMAの結果から求めて終わる以外に方法はない。

これも分子シミュレーションではいとも容易い。実験との結果が符合するのなら、反応しなかった余りは何%でどんな官能基が残っている、とすぐに分かる。さらに要因として、分子鎖長が問題なのか、構造の柔軟性が足りないか、といったように判別が可能だし、当量比をずらした場合に余りの数が減るかどうか・・・というような研究にも発展出来る。

材料メーカーなら、「今までのエポキシではこれこれの温度で反応させた場合に75%の架橋率でしたが、分子鎖長と構造を最適化した新規品では92%を達成しました」などという営業が出来るようになるのだ。

これこそ、シミュレーションでしか成し得ないアウトプットではないだろうか。

付加価値

残念ながら、今の段階では分子シミュレーションに付加価値を見出す事の出来る人間は、新しいものに目がないごく一部の企業の研究者のみとなっているように思う。メーカーはまだまだ、実験結果とこれだけ合うんですよ凄いでしょ、というような意味不明のPRしかしていない。分子シミュレーションはMOやFEMとは明らかに違い、答えがそのままアウトプットになることはない。

手段を目的にすることは、ドライブ好きかつ科学で遊びたい私としては大好きな事ではあるが、なかなか仕事にはなりづらいものである。