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Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

社会のアポトーシス 夕張市に求められる事

Wikipedia読んでいたら炭鉱の話が載っていて、そこから夕張市の記事に飛んだ。07年の財政破綻以降、どうなってるのか気にも留めていなかったが、昨年ついに人口が1万人を割ったそうだ。
で、現市長の取り組みについてググってみたところ、こんな記事が。

http://www.nikkei.com/article/DGXBZO64609980W3A221C1000000/

これを読んだ感想として、ナニを勘違いしてるんだこいつは、と思った。
夕張に今求められる事は、借金を返して財政を健全化する事ではない。どうやって市を潰し、存在を消すか、である。夕張市にはぜひとも、そのモデルケースとして頑張って欲しい。まぁ考えては居ると思うが。

今後の日本

一昨年あたりから、日本の人口が減少傾向にある事は、あっちこっちで語られている。都市部に人口が集中し、地方の減少率が甚だしい事も言われている。
安倍政権は地方創生と口当たりの良いセリフを吐いているが、何を以って創生するのか語らない。カネをバラ撒くのは手法に過ぎず、比喩でなく直接的にどんなものを創生するかのプランは誰も示さない。そりゃそうだ、何もないんだから語れるはずがない。

私は一応メーカーの技術者だが、日本はほぼオワってるという見解に賛成だ。かつて工業大国だったこの国は、今や金属非金属電気化成の区別なく、片っ端から諸外国に食われまくっている。
日本がもっとも得意とする工業のうち、任意の地方に展開可能なものは組み立て産業くらいだろうが、完成品・部品とも多くを中韓に食われた。それが約10年前。5年ほど前からは原材料もバカスカ食われ、今も国内中心で残っているのはガラスやウェハのようなノウハウの固まり、フッ素樹脂関係など特殊な化成、理化学機器、あと何かあっただろうかと考えこんでしまうほどに減った。

人口は減る、産業も減る、残るのは経常収支比率が常時100%を超えた借金雪だるまの自治体のみ。
もう日本が浮き上がる事はない。多少の上下動はあるだろうが、全体的に見れば確実に沈んでいく傾向だろう。

新しい社会発展

歴史を振り返ってみる。ほぼすべての全体社会は何をもって消滅したか。それは戦争である。
全体社会は常に、質よりも規模の発展を求めてきた。規模がどうしても発展出来なくなった時、為政者たちは質を向上させることではなく、他から奪ってでも規模を発展させようとした。結果として血が流れ、過剰な衰退を招き消滅していった。

日本は侵略戦争は起こさないだろう。この国の国民はすでにそんな度胸は失ってしまった。となれば、残るのは緩やかな死だけだ。
ならばポジティブに、緩やかな死をコーディネイトしていくべきではないか。抗おうとすればするだけ、無為にカネが消費される。そのカネを質の向上に充て、社会をコンパクトにまとめる事が、日本に残された道だと思う。

どのようにするか

何もしなくとも、コンパクト化は進行していくだろう。ネガティブな形で。
自治体の税収が減り経常収支比率が跳ね上がれば、いずれその自治体は夕張同様の財政再生団体となる。そこで無駄な税金の大量投入が起きると同時に住民税は跳ね上がり、住民の流出が増す。住民が1000人を切り、100人を切っても市町村の名前だけが残る。分かりきっている事だ。

地方の大都市は維持のために余分な人口を取り込みに走り、一時的に肥大化もしくは横這いを続ける。その間にも周辺都市は片っ端から財政再生団体となり続け、国庫は火の車となるだろう。
そう陥る事を未然に防ぐのが、今後の政治の有り様と思う。

まず、都市計画法の見直しを行い、市街区域に居座る工場等を追い出す。と同時に調整区域を拡大し、新たな住居建築に制限を課す。新たな調整区域では電気や上下水道などのライフラインや交通網を制限して、既に住んでいる住民に転居を促し都市の縮小を行っていく。
住民数x0.9倍程度の居住可能区域設定とし、数年毎に見直しを行う。こうすることで、ライフラインの維持費を現実の都市規模へと減らしていく事が可能になる。

次に行うべきは、社会保障制度の改革だ。75歳で2割減、80歳で3割減、85歳で5割減くらいが妥当だろう。医療費負担額も順当に増大させる。働かない者食うべからず、年寄りにはサッサと死んでもらう。ナマポの方も、現物支給、居住区域管理(まぁゲットーかな?)で支出を減らす。

こうした社会主義国家のような、抜本的改革が日本にはベストだろう。
他の国でやれば暴動でも起きかねないが、日本の素直な羊共にそんな度胸はない。マスコミトップを買収しておけば問題なく行えると考える。

社会のアポトーシス

こういった考え方は、本来、発展を原則とする社会がそれに反して「自殺」しようとしているように受け取られかねない。が、それは違う。あくまで、社会を救うための手段である。
生物の社会は基本的にそうだ。あまりの急激な変化では対応しきれずに絶滅するが、進化するには急激過ぎるも絶滅するほどでない変化の場合、個体数を減らしてその場しのぎをする生物種が多いように思う。

生体内においては、細胞のアポトーシスがその役を担う。生きる、あるいは進化する、というような目的のために、一部の積極的な死は非常に有意義だろう。

規模を縮小して生き残り、再度発展可能なネタが生じれば、また発展すればいい。なくなったならまた縮小するだけだ。
ネタがないから死ぬに任せて放置するのでは、あまりに愚かしいと思う。人間なのだから、脳味噌使えるのだから、自然任せではなくプロデュースして欲しいものだ。