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Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

なぜ自殺してはいけないのか?自殺してはいけない本当の理由

社会

以前も書いたような気がするが、どうして自殺はダメなのか、という単純な疑問の明確な答えが、ググってもさっぱり見つからない。

出てくるのはどれも、よく分からない精神論とか、死んだら取り返しがつかないとか、思いとどまらせようとする内容ばかり。論理的な理由を書いたサイトがまったくない。

ちょっと考えてみて欲しい。いや、自殺しちゃいけない理由ではなく、なんでそんな事を言うやつが多いのかを。

「死ぬと家族が悲しむ」「周りへの影響がある」「あなたの大事な人生そこで終わっちゃうんだよ」「取り返しがつかない」「死んでも苦しみは終わらない」「霊になって苦しむ」云々、といったような偽善やら脅迫めいた馬鹿の戯言はともかくとして、行政や司法立法も「自殺ダメゼッタイ!」を押し付けてくる。一体どうしてなのだろう?

それもそのはず、自殺しちゃいけない本当の理由は、本当の理由それ自体が自殺を助長してしまうようなものだからだ。本当の事が書けないから、精神論やら非論理的な抽象論で誤魔化され、「自殺してはいけない理由」として押し付けられている。まったく酷い話だ。

自殺がダメな理由はとても簡単

社会学的に、自殺がいけないという理由はとても簡単な事で、社会の物質的代謝の減少値がコントロールの範囲を逸脱してしまう可能性があるからである。

一匹二匹死ぬのは別に問題ないが、自殺を肯定してしまうと「ああ死んでもいいのか」と安易に自殺するやつが増える。それによって社会的な代謝(例えばカネを使う、働く、食う、出すといった)を行う要素が減少してしまう。

つまり自殺がダメと言われる原因は、少子化などが問題と言われる原因とまったく同じと言える。自殺を肯定してどれくらいマグロ類が増えるか定かではないが、まず10倍にはなるだろう。

個人の命は個人の物にあらず

社会は常に、様々な構成要素(人、物、金、資産など)がある程度コントールされた状態で成り立っている。社会の立場から見れば、それら構成要素は社会の一部であり、個人の命なども含め、いかなる物であっても個人の物とは言えない事になる(社会主義的な考え方ではあるが)。

爺さん婆さんや病気の奴が死ぬのはまぁしょうがないとしても、自殺に至るのはだいたい健常者である。自殺しなければ、あと30〜60年くらいは社会の歯車として機能出来る個体だ。それが自殺してしまえばパア。

以前書いたが、結婚した夫婦がガキを1匹大人にするまでには、22年の歳月と3000万円ほどの金がかかる。この22年と3000万円は、両親が消費した時間とカネではなく、社会が消費した資産(その後の生活を行ってくれる前提で投資したものだから、財産ではなく資産)なのだ。

その22年と3000万円が、社会から見た人ひとりあたりの価値と捉える事もできるが、とにかくそれだけの時間と金を費やして作り上げた歯車を、「生きるのつら〜い死ぬぅ」とか抜かされて失うのは、まったくもって不合理な大損害だと言える。

社会の歯車として、何とかこの先数十年生きて貰いたい。それが自殺防止キャンペーンやら自殺しちゃいけないぞ議論の理由といって良いだろう。

ニートだの無職だのナマポだのといった、一見不要にみえる歯車も、社会の構成要素として一応の価値はある。だから自殺はまずいのだ。

本当の理由を知ってしまった自殺志願者はどうするか?

社会に対して不満を持って自殺したいと考えてる人に、自殺がいけない理由はアナタの思惑も人格もヘッタクレも関係なく、社会の維持に必要な歯車が減っちゃうからというものだよ、なんて教えたら、その人がどうするかは火を見るより明らかだろう。

(追記:2016.05.16)