Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

iPhoneはAndroidに敗れた

iPhone6がまた値上げだそうだ。ロシアで35%もの値上げが行われたように、円安に合わせて30%ほど値上げするらしい。その関係記事を探していたら、これまでの提灯記事とは違う、面白い記事を見かけたので貼っておく。

iPhone6、触って使って「超絶ガッカリ」<動画>いよいよアップルの成功哲学が崩壊か
http://toyokeizai.net/articles/-/49436

メーカーに迎合して提灯記事ばかり並べる日本のマスコミにおいて、こういった批判は珍しい。「ちょっとダメだけど視点を変えればこれは凄いじゃないか」みたいな日本人好みのハッピーエンド記事でもなく、大手メーカーに対して哲学的な観点から痛烈な批判を浴びせるといった内容は、個人のブログでもなければ、日本では難しいだろう。ツイートやFBコメントの数が、結構凄いことになっている。このサイトの他の提灯記事で、これほどの数を集めているものはない。

少々話が飛ぶが、スティーブ・ジョブズという人物は、良くも悪くも80年代のアメリカを象徴するような人だったと思う。アメリカがまだ強い国、世界の警察たり得た時代である。あの頃のアメリカは、何者にも迎合しない、唯我独尊的な国家だった。人々はアメリカに恐れを抱くと共に憧れも持っていた。絶対的な勝利こそが唯一の正義である、というスタンスが絶大なリーダーシップを発揮していた。

嫌なら使うな

ジョブズが作り上げたMacintoshというPCは、時に芸術であるかのように表現される。市場を席巻したウィンテル陣営には、最後の最後で迎合したものの、それ以前は孤高の一匹狼であった。そこにはジョブズのポリシーが感じられる。

自分にとって最高の物を作った。その価値を認める奴だけ使え。嫌なら使うな!

ジョブズAppleも、そこまでのセリフは吐いていないと思うが、Macintoshからひしひしと感じられたのは、彼らのそういう想いだった。奢りとも受け取れるほどの強烈な自信、それに引っ張られてMacintoshは成長していった(私はウィンテル大好き人間だったので、私の好みということではない)。

口に出してしまったのはDiabloシリーズを運営するBlizzardだ。ユーザーのクレームに対して一言、嫌ならやるなよ、と言ってしまった。

そういった、自信がなくては決して言えないポリシーにこそ、カリスマ性が宿るのだと思う。

ジョブズの死

私が彼の死を痛感したのは、iOSが6から7に変わった時だった。インターフェイスの見た目の大幅な変更、彼らと、迎合したマスコミは改良と言ったが、平面的になり配色が見づらくなっただけのそれは改悪にしか見えない。Windowsと同じように、陳腐化した見た目だけ変更して中身は何一つ変わっていなかったiOS7を見た時、あぁジョブズは死んだんだな、と思った。

同じ事をiPhone6で再び思った。GALAXYの完全なパクリではないか。

iPhone4当時も、Androidは画面サイズを大きくすることに熱心だった。画面は当然、大きい方が見やすいし見栄えも良い。使いやすいかどうかは別として、インパクトはある。GALAXYのあのサイズはかなりのインパクトであり、同時に「やはり韓国人だな」という苦笑いもあった。

一方のiPhone4は、相変わらず3.5インチを採用した。続くiPhone5も、縦を伸ばすだけの4インチだった。大きくするだけなら韓国猿でも出来る、というジョブズの冷笑があったと見て良いと思う。

画面がデカくなって良くなるのは、動画の再生くらいなものだろう。スマホが動画再生マシンと化している一部の奴を除けば、デメリットの方が大きいに決っている。ジョブズがそう思っていたかどうかは分からないが、敢えて小さな液晶に拘ったのは何がしかの理由があるからに他ならない。

iPhoneAndroidに敗れた

iPhone6は明確な分岐点と言える。iPhone6は、GALAXY等のAndroid陣営に迎合するデザインとなった、そこにはもうAppleらしさもiPhoneらしさもない。単なる、OSの違うスマホに堕ちてしまったiPhoneに待っているのは、緩やかな死のみだろう。

一匹狼はそのカリスマ性において、他者を寄せ付けない魅力を発揮するのだ。群れに戻ってしまった狼に魅力を感じる者はない。