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Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

イメージ論とエセ科学

科学

仕事でフォノンの格子振動モデルを議論していて、ふとした拍子に変な方向に脱線した。
どんな脱線かというと、エネルギー波を三次元的にイメージするとしたら、どういう風にすればいいのか?だ。そんなくだらないテーマでみんなでくっちゃべってたら、エセ科学レベルのクソ話になった。面白かったので、ちょっと書いてみたい。

普段我々は波を語るとき、そのエネルギー伝搬の量や速さ、周期性について議論する。そこでイメージするのはほぼ100%、二次元的なグラフに示せる、界面の上下動をイメージ化した波だ。そしてエネルギー動は一次元振動モデルを描いて運動方程式を書き、ある変異点の振動を角速度で表し、時間依存性を議論するのが一般的だ。

この「一般的」なイメージではなく、三次元的な波をそのままイメージ、もしくは言葉で表すというのは、小学生あたりで教師にサインカーブを教えられた時点で消滅してしまうように思う。大学はおろか研究者となった後すらも、「一般的」イメージを元にした数式議論に終始してしまうかも知れない。

もちろん、そう疑問を示されれば誰でも説明出来る事ではあるが。

フォノンや音波のような波の正体は、媒介する原子の振動であるため、単位空間を考えると圧力の変化、あるいは密度の変化として表す事が出来る。圧力を感じるのは、空気であれば、吹いたり止まったりを周期的に繰り返している風のようにイメージ出来る。電子線のように、飛んでる粒子そのものが波の媒介者であるときも、単位空間あたりの密度の上下動でイメージ出来るだろう。

問題は電磁波だ。電磁波は空間放射されているエネルギーそのものだから、粒子性のある場合を除くとなんだかイメージしづらい。原子やら素粒子やら、それの集合体やらに干渉される、エネルギーそのもの。
さらにウザいのは量子化されて、その大小は有無の概念に帰結しているという点。フワフワした綿菓子みたいなものだとすると、とある点にいっぱい集まると粒子的になるのは何となくイメージ出来て、重力影響受けるのもなんか分かるが。
しかし、そこで分からなくなるのが回折現象だ。波数が小さいときは回折し、大きくなるとしづらくなる。これを端的にイメージするのは至難の業だろう。

なぜ、至難なのか。それはイメージが抽象化を軸とするものだからだ。抽象化とは現象の重要な要素のみを抽出する事だから、得られるイメージは波動性もしくは粒子性のどちらかにしかならず、片方のイメージを持ったまま、もう片方をイメージするのは困難だろう。
抽象化と似た観念に概念化がある。概念は多数の要素を並列化出来るから、エネルギーについての様々な数値を帰納的な概念で表す事は容易い。よって、こちらの哲学が大多数に受け入れられたわけだ(ここで言う哲学とは科学哲学的な意味合いよりも、より哲学に近い観念だ)。

とは思うものの、数学的な(たとえば複素平面のような)二次的概念上でのみ発達したモノを除けば、難しくはあるものの、概念化と並行してイメージ化を行う事は重要だと思う。

特に化学(バケ学)では、現象を概念的に考える前に直感の働くケースが多い。直感は、イメージが鮮明にあればあるほど強く働く。「こんなチャートが出てくるのは変だ」「このバラツキはもっと抑えられるはずだ」と、イメージに反した結果に驚き、反復してみようと思えるのは、イメージ化のなし得る技と思える。

一方でイメージ化は、説明をしづらく論証を得にくく、時には誤ってしまう事もある。まぁ、個人の抱いたイメージが正しいか間違ってるかは大した問題ではなく、そこを原動力として得られる概念的な結論が正しければそれで良いと思うので、私は、内的エセ科学というのを否定しない。むしろ、大いにエセ科学なイメージを以って、研究に当たれば良いとも思う。そのほうが発想は自由なものになるだろう。

が、エセ科学愛好家の多くは、その確証もクソもなく思い込みとイデオロギー満載のエセ科学を外部にぶち撒けてしまう。

波動は媒介するものがあって初めて伝わるものなのに、エネルギー波には一見媒介するものがない、これは実はダークマターが関与していてエネルギーはダークマターの粒子間を伝わっているんだとか、思うのは勝手だし、実際にそうなのかも知れないし、そこを突っ込んで研究してみたら面白い何かが得られるかも知れない。

もちろん、誰もそんなエセ科学に研究費は出さないので、何かマトモそうなお題目のついでにやることになるだろうが。