Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

鳩山のひざまずき、土下座は平和を実現するための手段

本日、鳩山が韓国に土下座してきた。土下座外交という言葉があるが、鳩山は元々自分の意思で何かの行為に及べる人間ではないため、これは誰かがやらせていると見るべきだ。かつては小沢一郎が鳩山の飼い主だった。

今回の件で、それが何者であるのかはよく分からない。よって論じてもしょうがない。まぁ、土下座外交という言葉は事なかれ主義の外交を揶揄したものであって、現実に土下座してしまうのは奴隷外交、鳩山は傀儡人形と大差ないので、傀儡外交とでも言うべきか。

さて現時点でこの行為、大手メディアは産経と時事しか報じていない。他の大手メディアはダンマリ。韓国式の儀礼で詫びただの、本気で思ってるならそう報じればいいのにしない。

現代の多くの日本人は土下座を「なりふり構わぬ自己保身の手段」と捉える傾向があるようなので、報じる事によって日本人の心に嫌韓的感情が芽生える、あるいは増長されるのは目に見えている。だから、公にする事には問題があるわけだ。

日本人はつねに戦犯でなくてはならず、他の国におわびをし続けなくてはならない。なぜならば、それが平和を実現する唯一の方法だからである。今回はこれについて少々論じよう。

戦争はなぜ起きるのか?

戦争が起きる原因について、様々に論じられる。
一般には主張のぶつかり合いが原因であり、他者を受け入れられない心の有り様が戦いを生む、などと言われる。ここから生まれる観念が友愛主義であり、相手を許容出来れば喧嘩は起きない、だから皆さん相手の話をよく聞いて一緒に考えましょう的な結論を導く。

これをもう少し掘り下げてみよう。

相手の言うことをすべて受け入れれば、もちろん戦争など起きない。戦争は、どうしても許せないから起きるのだ。すべての自己主張、どうしても譲れない想い、そういったものをすべて捨て去って、相手の言う通りに行動すれば戦争は起きようもない。

相手が、お前は悪いことをした、だから謝れ、と言ったなら、事実関係がどうであろうと、ハイ分かりました私が悪かったですゴメンナサイ、と言っておけば、争いにならない。個人でも国家でも同じ事だ。

平和とは、謝り続ける事である

それをそのままやっているのが、現代の日本である。
戦後70年、平和を維持するために謝り続けてきた。いかなる事に対しても、事実がどうであっても、とりあえず頭を下げれば戦争は起きない。

いかなる事にも動じず、ペコペコ詫てきた。おわび外交、と言っても良い。他国の言う通りに頭を下げれば、平和が実現されるのだ。他国の要求通りにカネを支払えば、平和が達成されるのだ。

ところがまだ、その平和に異を唱える輩がいる。安部総理など、その先鋒である。平和を実現するためには謝り続けなければいけないのに、あんまり謝らない。

謝るのは日本人の美徳である。日本人は頭を下げるのが大好きだ。「申し訳ありませんが」よろしくお願い致します、「誠にすみませんが」よろしくお願い致します。頭を下げない、謝らないというのは、日本人ではない。

もう一度言おう、日本人は他者他国に対し、謝って謝って謝って、許してくれなくてもなお謝って謝って謝って、いくらでもカネを支払って、奴隷になる事で平和を実現しようとする民族なのだ。

100年後に日本という国はない、等と論ずる向きもあるが、それはないだろう。奴隷を殺しても意味がない。奴隷はいつまでも奴隷のまま維持するのが、もっとも理想的だから。

みんな仲良く平和に暮らすために、謝ろう。鳩山の行為はとても日本人らしい、とても奴隷らしい行為である。