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Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

ショーンK詐称騒動は現代のソーカル事件??

科学

なんか怪しいブログを見つけた。
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52076706.html

小保方事件で解説をしていた人のブログだ。
理論物理学研究者を名乗る割に物理ネタはさっぱり書かず、ひたすら経済ネタばかり書いている人だ。
数学者であれば金融や経済ネタが大好きでも不思議はないが、物理学者を名乗っておいて科学ネタが少ないのでは、それこそ経歴詐称ではないかと言いたくなる。昔、物理学をやっていたと言うのなら、元物理学者と書くべきだろう。

それはさておき、このブログの「ショーンK詐称騒動は現代のソーカル事件である」については、見当違いも甚だしい。これについて論じてみよう。

権威への盲従

人は誰でも、自分の知らない事象について、それを知る人の意見を聞こうとする。日常的に当たり前の事だ。ただ、時としてそれが行き過ぎてしまい、知っている人に盲従してしまう、という場合がある。これも、ほぼ誰にでもある事だ。

ソーカル事件とは

ソーカル教授は、社会学者たちのコミュニティにおいて、こうした権威への盲従がまかり通っている事について、理化学では当たり前となっている科学哲学の見地から疑問を呈した。その手法として、デタラメな内容の論文を雑誌投稿し、掲載直後にネタバラシする手段を用いた。結果、社会学においても査読の重要性が認識されるようになった、というもの。非常に高尚な分野のお話である。

ショーンKの事件

ショーンKの事件は単なる経歴詐称に過ぎない。詐称によって基盤を築き、そこからの派生によって地位を得ていた。実に低俗な事件だ。

とはいえ、ショーンKの各種著書、公の場で論じていた議論は、果たして完全な嘘っぱちだったのだろうか?彼は詐称による肩書のみで、まったくデタラメな、喩えるなら小保方の論文的な著書を売り捌いていた、というのなら、リンク先ブログ主の主張も分からなくはない。

が、そうではないだろう。私は経済学になどまったく興味がないのでショーンKなんて人物すら知りもしなかったし、その著書なんて貰っても要らないが、常識的に考えて、ショーンKが書いていた著書は、ある程度の信ぴょう性と論理性を持ち、人々に受け入れられる内容だったのではないか?彼の著書を参考に、自論を組み立て応用していた人々も居るのではないか。

その可能性は、これまた常識的に考えて高い。ソーカルの論文と、ショーンKの主張や著書は、存在の価値観的な議論においてまったくの別物だろう。
ソーカル論文は100%の嘘だとソーカル自身が述べたのだから、これは完全なデタラメだ。一方のショーンK著書は、ショーンKが嘘だと認めていないし、役立てている人間の存在も否定出来ない。

比べる事自体が無意味だ。

終わりに

ショーンKがもし、詐称から生まれる肩書によってのみ、本を売りマスメディアに登場していたのであると実証出来るのなら、ソーカル事件ショーンK事件の間には「人々が権威を盲従してしまう」事に対して議論を行う事が出来る。
そうでないのなら、ソーカル事件ショーンK事件は、なんの接点も持たない。

物理学を嗜む者であるなら、こうした科学哲学的な論証手法を逸脱してはならないと思う。