Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

人を頼る処世術

世の中には、顧問という立場の人が多く居る。やくざの顧問とか、顧問弁護士というのは違うが、定年退職した方たちが経営顧問とか技術顧問とかになっている、あの顧問である。
いわゆるアドバイザー的なポジションというと分かりやすいと思う。こういった立場に就く人はそれなりに社会的地位があった人々が多い。もちろん天下り的に単に顧問料、ようはカネが欲しくて名前だけ貸しているように思われる場合もある、が、そうではなく、大した顧問料も貰わず、下手をすると自腹で交通費など負担して顧問をしている、という方が多い。

なぜ、自腹を切ってまで顧問などするのか?

憶えた事を他人に伝えたい

そういった顧問の多くは、自分が経営畑や技術畑などで経験し、憶えていった知識を、第三者に伝えたい、という想いから、顧問になっているケースが多いように思う。
現役時代は地位があり、組織内外のいろいろな人々と接し、時には意見を求められ頼られていた、それが退職を境になくなってしまう、その事に寂しさを覚えた人が顧問になっている。

頼られる事が活力になる

頼られ意見を求められる、この事は、若いうちは煩わしく思う事が多いだろう。そんなもの、自分で考えろ!と言ってしまいたくなる。ところが歳を取っていくと次第に、頼られるということが嬉しく、気持ちよくなっていく。頼って貰う事が生き甲斐に、活力になる。それが絶たれるのが退職の瞬間だ。

頼る人間は少ない

ところが、いざ顧問等になってみても、アドバイスを求めてきたり、意見を欲したり、頼ってくれる人間というのは実は少ない。もちろん、カネやコネを求める輩は多いだろうが、彼ら顧問が欲しているのは自分の人生、生き様を聞いてくれる人間であって、カネやコネなど念頭に置いて話しかけてくる輩はゴメンだろう。
そういう下心のある場合を除けば、大半の若者たちは、ジジイの話なんかめんどくさくて聞いてられるか、というスタンスだから、まともに頼ってくれる人などほとんど居ないのだ。

寂しさの恐ろしさ

人間というのは、とても弱い生き物だと思う。顧問として、今まで関わっていた組織とは別のところで活動し始めても、たいていの組織人は外から来た人をまず嫌がる。それが偉そうな指摘や長ったらしい話をする爺さんなら尚更、といったところで、顧問達と積極的に関わろうとする人間はあまりに少ない。

そうなると、どうなるか?

多くの顧問は、とても寂しい思いをする。ここの組織でも自分の気持を受け取ってくれる人間は誰も居ないのか!
寂しい、悲しい、そんな気持ちになっていく。次第に口を閉ざし、関わるのをやめていってしまう。退職後一気に老け込んでしまうというのは、そういった理由が大きいように思う。

頼る処世術

もうお分かりかとは思うが、こういった顧問たちと積極的に関わる事こそ、重要な処世術であると私は思う。
ゲスな話は敢えて書かないでおくが、使い方によっては恐ろしい力になる。
とはいえ、彼らは人を見抜く目はしっかりと持っている。知情意といった事を説く方もいる。彼らに魅入られるために必要な事は、よこしまな考えを抱かない事だと思う。