Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

命は本人の物でなく、社会の物である

ALSの嘱託殺人のニュースを読んでいて思った。
mainichi.jp
「本人に頼まれたから殺した」、これのどこがまずいのだろうか?

命は所有物である

この手の話をすると、「命は所有物じゃない」と言い出す輩が多いので、まずこれを否定しておく。所有物でないのなら「命を奪う」などという表現が存在することがおかしい。裁判所でも警察でもよく使ってるこの表現の存在が、「命は所有物である」ということの証になる。

命は本人の物ではない

では命は誰のものか?本人の物ではないのは明白だ。たとえば「俺のスマホを壊してくれ」と誰かに頼んで壊して貰ったとする。その壊した人は、器物破損罪になるだろうか?なるわけがない。所有者に頼まれて壊したのだから当然だ。「俺の財布を盗んでくれ」も同じく、窃盗罪にはならない。ところが「俺を殺してくれ」では、殺人罪になる。そして裁判では「被害者の命を奪った」とか言われる。これは、命がその当人の物ではないという事の証となる。

命は社会の所有物

では、命とは誰の物だろうか?答えは簡単。社会の物だ。社会が所有する命を奪ったので、社会が逮捕して起訴して裁判して罰するわけである。

件のお医者さんはどうすれば良かったか?

私がその医者だったとしたらこう言う。

いいですか?あなたは私に命を奪って、と仰られますが、命はあなたのものじゃなく社会のものなんです。だからあなたに頼まれてあなたを殺したとしたら、私が社会から命を奪った罪で告発される事になる。私には何のメリットもない。なんでそんな事をしなければならないんですか?

このように、理性的かつ論理的な受け答えができる人こそ、医者に向いていると思う。