Lattice in the Lettuce

The monologue of a scientist.

幻想の就職氷河期世代

よくありがちな、就職氷河期世代の記事。
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25年ほど前に国立大学の大学院を修了した。研究職に就きたかったが、折しも就職氷河期。正社員への道はなく、主に非正規公務員として雇い止めを繰り返し

どこの大学院だよ、と言いたくなる。私も同世代だが、少なくとも理系の国大院卒の同期に、そんな輩を知っている人は皆無だ。

当時もそれ以前も、研究室にはOBがよく遊びに来ていて実情は知れ渡っていたので、企業とパイプのある有力教授の研究室でマスター・ドクターを狙えなかった人は、学卒でサッサと就職してしまっていた。逆に言うと、大学院の指導教官たちは企業と馴れ合って研究費を稼ぎ、コネで学生を斡旋出来る人が多く、そうでない教官たちの研究室はハナから就職とは無縁の高等遊民のたまり場だった。つまり、あの時代に大学院まで行っている時点で、教授コネをアテにして居たか、就職する気がなく遊ぶ時間を増やしたかったかのどちらかである。

参考までに、ドクターまで行くと教授コネでも余程のパワーがないと難しかったから、マスターで打ち止めする人が多かった。一方で当時から外資志向だった先見性に優れた人は、外資とツルんでた教授の居る大学院に行ってドクターになっていたと思う。この場合、一度外資企業に籍をおいて工期博士課程を会社に出してもらう、というのも結構居たはず。

さて、コトが変化したのは国立大学法人法が出来た後の話。それ以前は、国の行政組織の一部としてヌルい運営かつ、教授たちの裁量、要するに企業から研究費を貰う見返りに企業が喜びそうな人材を育てる、というような商売がまかり通っていた。法人法のおかげで表のパフォーマンス(研究内容の先進性とか)だけが重視され、学外への(企業への)政治力はどうでも良くなってしまい、そういった商売が困難になった辺り以降は、教授の権力が相対的に下がってしまったために、コネ就職がしづらくなった。

つまり本当に大変なのは現代の学生・院生であって、就職氷河期とか呼ばれているバブル崩壊直後の話ではない。

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こういった記事を読むと、氷河期世代など幻想である事がよく分かると思う。